AIの精度を気にしすぎて概念実証(PoC)から前に進めない、AIプロジェクトが頓挫した、という話が後を絶たない。
7月26日・27日に開催されたオンラインイベントのABEJA SIXは、「HIとAIの協調」がテーマであった。イベントではAIと人の協調によりオペレーションを遂行する「Human in the Loop Machine Learning」(人間参加型機械学習)によるアプローチの具体的な事例を語った、複数のセッションが公開された。
本稿は、セッション「『データが少ない中で成果を出す』 悩みの解決を目指して」の内容をまとめている。
セッションでは、三菱ガス化学株式会社の新潟工場にある配管の腐食診断AIのコンセプトづくりや導入プロジェクトの経緯、現場で使われるAIの秘訣が語られた。
新保 利弘(しんぼ としひろ)
三菱ガス化学株式会社 生産技術部 主席
宇野 健人(うの けんと)
株式会社ABEJA プロジェクトマネージャー
新潟工場を長年悩ませてきた配管の腐食
新潟工場は同社の中でも歴史ある工場で、数キロ単位の特徴的な配管が入り組んでいるのが特徴だ。目の前の日本海からは潮風が吹きすさび、長年、外側からの配管の腐食に悩まされてきた。
腐食を放っておくと配管が薄くなり、ゆくゆくは破れ、化学物質が漏れ出てしまうおそれがある。これまで同工場では、「運転員」と呼ばれる専門のスタッフが配管を見て写真を撮影し、メンテナンス担当者がその画像を見て、修理が必要かなどを判断していた。
検査の抜け漏れ防止を防ぐために、多くの画像を撮影・保存し、1枚ずつ保守員が確認する。一連の業務負担は大きく、現場から「AIの力を借りられないだろうか?」という声が上がり、導入プロジェクトが始まった。
認識精度70%でも十分に現場活用できる
そして導入されたAIは、配管の画像から腐食の度合いを5段階で判断するというもの。現在の認識精度は70%(2022年6月時点)で、少し心細いと感じられる数値かもしれない。
だが、プロジェクトを主導した新保氏は「十分に活用できているだけでなく、新たな気づきも増えた」と話す。
『今後は配管の画像だけでなく、腐食の度合いを数値化した実データも取り込み、現在の配管の状況から将来の状態を予測することもできそうだ』と考えているスタッフもいるようです」
この腐食の度合いを診断するAIに加え、配管の情報を管理する配管マスター管理システム、配管の画像やメタ情報を管理するデータレイクシステムに、検査結果を報告・確認する稟議システムが紐付く。
稟議システムと紐付けたことで、エクセルファイルに配管の画像を貼り付け、メールで検査結果の報告と確認を依頼する、という業務フローもなくなった。統合されたシステム内で、撮影した配管画像の管理・診断・結果確認まで完結するのだ。
100点満点のシステムを入れるべき、という日本企業の呪縛
現場からの要望をボトムアップで吸い上げ、AI導入と共に新たな業務スタイルが定着した……という一見きれいな「DX成功ストーリー」だが、そう簡単ではなかったと新保氏は当時を振り返る。
「俺たちがシステムを育てる」
配管の腐食の度合いは、人が判断しています。現場担当者によって判断が違うことも多々あるので、同じ画像でも違ったことをAIに教えてしまう可能性がある。データが完璧でない中で、認識精度100%のAIができるのか?という懸念はありました」
明確な判断基準はなく、各人で判断が異なるので“完璧な”データが揃えられない。しかし、判断を間違うと大事故にも繋がるので、現場のこだわりも強い——。それでも現場導入を成し遂げられたのは、今の業務を変えたい、という現場スタッフの強い思いがあった。
「俺たち(現場)がこのシステムを育てるから、システムを育てられる仕組みや業務の流れを作ってほしい」
導入時から100点満点のシステムを求めず「育てるシステム」というコンセプトを定めたことで、新保氏はシステム全体のデザインに集中できたとのことだ。
AIに限られたことをやらせる、ではなく、AIを活用して業務全体を改善する。もしAIの判断が不十分なら、人間が手直しすればいい。
AIは子育てに近いところがあると思っています。現場スタッフから『AIの診断ポイントや結果から学ぶことがある』という声が上がった、と先にお話したように、AIの成長とともに人が成長するということもあります」
多くのAI導入プロジェクトを手がけてきたABEJAの宇野氏も、同社の現場スタッフの様子をこう語る。
単なるAI導入・デジタル化で終わらせることなく、業務スタイルや事業を変えていくのは、ツールを活用する人々の心持ちにある。新保氏は、現場起点のモチベーションが最重要だと改めて気づかされたという。
ベンダーからの細かい要件定義が現場を苦しめる
同社の「育てるシステム」というコンセプトに合致したのが、ABEJAのアジャイル開発だった。
開発側がAIを使っている現場担当者の意見を積極的に拾い、システムへの組み込みを提案・アップデートを繰り返すという開発スタイルを、いかに同社は取り入れたのか。
私たちはITやシステムに明るくないので、現場でシステムを使ってから初めて分かった課題も多々あります。ベンダーさんからの『導入前に、細かい部分も要件定義してほしい』という要求が強すぎると、現場が疲弊してしまう」
現在同社は、ABEJAとの週次定例を2年ほど続けており、システム開発とAIのチューニングチームを維持している。
三菱ガス化学さんとは、AIはどこまでのことができるか、業務側でできることは何かなど、お互いにアイデアを出し合っています。まさに、システムを育てていただいているなと感じます」
「プロジェクトに参加するみんながリーダー」
新潟工場では、このプロジェクトをきっかけに「他の部分でもAIが活用できそうだ」という機運が一気に高まったという。
今後は画像のデータに加え、腐食度合いを測定した実データも取り込んでいき、より正確な診断や予測につなげていくとのことだ。
新保氏は、「プロジェクトは楽しむべきもの」と主張する。
AIの精度が70%だ、80%だ、というのはストレスになりますよね。でもスタッフが『俺たちがAIを育てる』と言ってくれてからは気持ちが楽になりました。成功の鍵は、現場が自ら新しいことを見いだしたい、業務を変えたいと思い続けてくれたことだと思います。プロジェクトに参加するみんながリーダーでした。
AI導入は簡単ではありませんが、導入の過程で人は成長します。現場の業務に課題があるところでは、何らかの形でAIが役に立つのではないでしょうか」
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ABEJA SIXのイベントページでは、一部のセッションをアーカイブ動画として期間限定で無料配信している。
「超・重厚長大な企業、安全基準が高い企業だけど、いい意味で裏切ってくれた」(セッション名:「大企業とスタートアップの共存スタイルへの挑戦」、登壇:トヨタ自動車)、「AI・ディープラーニングの可能性と未来」(登壇:東京大学 松尾豊教授)など、イベントテーマ「HIとAIの協調」にそった興味深い動画が目白押しだ。
動画は以下のサイトから見ることができ、公開期間は9月半ばを予定している。ぜひチェックしてほしい。