「俺たちがAIを育てる」三菱ガス化学は、70%の認識AIでいかにDXを成し遂げたのか?

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※2022年9月半ばまでの期間限定で、ABEJA SIX2022 アーカイブ動画が公開されている。ページにアクセスすると、無料で本動画が視聴できる

AIの精度を気にしすぎて概念実証(PoC)から前に進めない、AIプロジェクトが頓挫した、という話が後を絶たない。

7月26日・27日に開催されたオンラインイベントのABEJA SIXは、「HIとAIの協調」がテーマであった。イベントではAIと人の協調によりオペレーションを遂行する「Human in the Loop Machine Learning」(人間参加型機械学習)によるアプローチの具体的な事例を語った、複数のセッションが公開された。

本稿は、セッション「『データが少ない中で成果を出す』 悩みの解決を目指して」の内容をまとめている。

セッションでは、三菱ガス化学株式会社の新潟工場にある配管の腐食診断AIのコンセプトづくりや導入プロジェクトの経緯、現場で使われるAIの秘訣が語られた。

登壇者:
新保 利弘(しんぼ としひろ)
三菱ガス化学株式会社 生産技術部 主席

宇野 健人(うの けんと)
株式会社ABEJA プロジェクトマネージャー

新潟工場を長年悩ませてきた配管の腐食

新潟工場は同社の中でも歴史ある工場で、数キロ単位の特徴的な配管が入り組んでいるのが特徴だ。目の前の日本海からは潮風が吹きすさび、長年、外側からの配管の腐食に悩まされてきた。

腐食を放っておくと配管が薄くなり、ゆくゆくは破れ、化学物質が漏れ出てしまうおそれがある。これまで同工場では、「運転員」と呼ばれる専門のスタッフが配管を見て写真を撮影し、メンテナンス担当者がその画像を見て、修理が必要かなどを判断していた。

検査の抜け漏れ防止を防ぐために、多くの画像を撮影・保存し、1枚ずつ保守員が確認する。一連の業務負担は大きく、現場から「AIの力を借りられないだろうか?」という声が上がり、導入プロジェクトが始まった。

認識精度70%でも十分に現場活用できる

そして導入されたAIは、配管の画像から腐食の度合いを5段階で判断するというもの。現在の認識精度は70%(2022年6月時点)で、少し心細いと感じられる数値かもしれない。

だが、プロジェクトを主導した新保氏は「十分に活用できているだけでなく、新たな気づきも増えた」と話す。

新保「現場からは、『AIの診断結果から、AIに読み込ませる画像の撮影方法や、人との判断の違いなどを学べている』という声も上がっています。

『今後は配管の画像だけでなく、腐食の度合いを数値化した実データも取り込み、現在の配管の状況から将来の状態を予測することもできそうだ』と考えているスタッフもいるようです」

この腐食の度合いを診断するAIに加え、配管の情報を管理する配管マスター管理システム、配管の画像やメタ情報を管理するデータレイクシステムに、検査結果を報告・確認する稟議システムが紐付く。

稟議システムと紐付けたことで、エクセルファイルに配管の画像を貼り付け、メールで検査結果の報告と確認を依頼する、という業務フローもなくなった。統合されたシステム内で、撮影した配管画像の管理・診断・結果確認まで完結するのだ。

100点満点のシステムを入れるべき、という日本企業の呪縛

現場からの要望をボトムアップで吸い上げ、AI導入と共に新たな業務スタイルが定着した……という一見きれいな「DX成功ストーリー」だが、そう簡単ではなかったと新保氏は当時を振り返る。

「俺たちがシステムを育てる」

新保「私たちも当初は『日本企業によくある話』のように、100点満点のシステムを作りたいと思っていましたが、システムが現場に入ったときのイメージが浮かびませんでした。

配管の腐食の度合いは、人が判断しています。現場担当者によって判断が違うことも多々あるので、同じ画像でも違ったことをAIに教えてしまう可能性がある。データが完璧でない中で、認識精度100%のAIができるのか?という懸念はありました」

明確な判断基準はなく、各人で判断が異なるので“完璧な”データが揃えられない。しかし、判断を間違うと大事故にも繋がるので、現場のこだわりも強い——。それでも現場導入を成し遂げられたのは、今の業務を変えたい、という現場スタッフの強い思いがあった。

「俺たち(現場)がこのシステムを育てるから、システムを育てられる仕組みや業務の流れを作ってほしい」

導入時から100点満点のシステムを求めず「育てるシステム」というコンセプトを定めたことで、新保氏はシステム全体のデザインに集中できたとのことだ。

新保「AIを導入するときに“人の作業を代替する”という発想では、AIと人を比べてしまい、100%の精度のAIでないと導入できなくなってしまいます。

AIに限られたことをやらせる、ではなく、AIを活用して業務全体を改善する。もしAIの判断が不十分なら、人間が手直しすればいい。

AIは子育てに近いところがあると思っています。現場スタッフから『AIの診断ポイントや結果から学ぶことがある』という声が上がった、と先にお話したように、AIの成長とともに人が成長するということもあります」

多くのAI導入プロジェクトを手がけてきたABEJAの宇野氏も、同社の現場スタッフの様子をこう語る。

宇野「新潟工場のプロジェクトメンバーの方は、日々AIを運用しながら、積極的にアイデアを出してくださいます。業務でAIを使うことを前提に、自分たちはどういう風に働くべきかを考えられている」

単なるAI導入・デジタル化で終わらせることなく、業務スタイルや事業を変えていくのは、ツールを活用する人々の心持ちにある。新保氏は、現場起点のモチベーションが最重要だと改めて気づかされたという。

ベンダーからの細かい要件定義が現場を苦しめる

同社の「育てるシステム」というコンセプトに合致したのが、ABEJAのアジャイル開発だった。

開発側がAIを使っている現場担当者の意見を積極的に拾い、システムへの組み込みを提案・アップデートを繰り返すという開発スタイルを、いかに同社は取り入れたのか。

新保「アジャイルとウォーターフォールを明確に分けてはいませんでしたが、システム全体のコンセプトを固めることは絶対に必要です。全体像はトップダウンで意思決定して、詳細はボトムアップで現場に任せる。ABEJAさんには、スマホのアプリケーションのように、使いながら細かい部分を修正してアップデートしていけないか?という相談をしていました。

私たちはITやシステムに明るくないので、現場でシステムを使ってから初めて分かった課題も多々あります。ベンダーさんからの『導入前に、細かい部分も要件定義してほしい』という要求が強すぎると、現場が疲弊してしまう」

現在同社は、ABEJAとの週次定例を2年ほど続けており、システム開発とAIのチューニングチームを維持している。

宇野「AIを活用して業務全体を改善していこうとすると、開発と現場が協奏して一緒に作り上げていく必要があります。

三菱ガス化学さんとは、AIはどこまでのことができるか、業務側でできることは何かなど、お互いにアイデアを出し合っています。まさに、システムを育てていただいているなと感じます」

「プロジェクトに参加するみんながリーダー」

新潟工場では、このプロジェクトをきっかけに「他の部分でもAIが活用できそうだ」という機運が一気に高まったという。

今後は画像のデータに加え、腐食度合いを測定した実データも取り込んでいき、より正確な診断や予測につなげていくとのことだ。

新保氏は、「プロジェクトは楽しむべきもの」と主張する。

新保「プロジェクトを進めていくうえでは、細かいところを調整していく必要があるので、常にわくわく感を出すのは難しいことです。

AIの精度が70%だ、80%だ、というのはストレスになりますよね。でもスタッフが『俺たちがAIを育てる』と言ってくれてからは気持ちが楽になりました。成功の鍵は、現場が自ら新しいことを見いだしたい、業務を変えたいと思い続けてくれたことだと思います。プロジェクトに参加するみんながリーダーでした。

AI導入は簡単ではありませんが、導入の過程で人は成長します。現場の業務に課題があるところでは、何らかの形でAIが役に立つのではないでしょうか」

ABEJA SIXのイベントページでは、一部のセッションをアーカイブ動画として期間限定で無料配信している。

「超・重厚長大な企業、安全基準が高い企業だけど、いい意味で裏切ってくれた」(セッション名:「大企業とスタートアップの共存スタイルへの挑戦」、登壇:トヨタ自動車)、「AI・ディープラーニングの可能性と未来」(登壇:東京大学 松尾豊教授)など、イベントテーマ「HIとAIの協調」にそった興味深い動画が目白押しだ。

動画は以下のサイトから見ることができ、公開期間は9月半ばを予定している。ぜひチェックしてほしい。