空調メーカーのダイキン工業は2017年、「ダイキン情報技術大学」を立ち上げた。年間100人の新卒社員や多くの既存社員が入学し、2年間、通常業務を行わずに先端技術を学ぶ。大型のDX人材育成施策として話題になった。
設立から4年が経ち、ダイキン情報技術大学の卒業生を中心とした、先端技術を活用したプロジェクトが常に100テーマ近く動いており、現在進行系でも続々と生まれているという。
そのダイキン情報技術大学の立ち上げは、先端技術を駆使して業務を改善する「テクノロジー・イノベーションセンター(以下TIC)」が主な舞台となった。
今回、そのTICと、情報技術大学の立ち上げからAIシステムのアジャイル開発技術支援までダイキンをサポートする電通国際情報サービス(以下ISID)の面々に、現在すでにシステムが稼働しているダイキン工業の 「SCM(サプライチェーンマネジメント)部」 での需要予測プロジェクトについて話を聞いた。
※取材は緊急事態宣言前の6月25日実施。写真撮影時のみマスク非着用
部門の課題をデータを用いて解決に導くTIC
2015年に設立されたTICは、ダイキンのエアコンなど数々の製品に関する技術開発を行っている。TICの主任技師である藤本正樹氏はこう説明する。
藤本 正樹氏(ダイキン工業株式会社 テクノロジー・イノベーションセンター)
2020年にSIerからダイキン工業株式会社に入社。社内の各事業部門の業務改革/改善推進をDX(AI/IoT)技術を使ってサポートする部門に所属。現在は、サプライチェーンマネジメント、製造現場のDX化を推進する業務に従事。
「我々が所属するチームは、データに関する社内コンサル的な動きをするチームです。『事業部門の課題をデータを用いて伴走して、解決すること』をミッションに掲げており、データを用いて業務改善をすることが仕事です。
そのために各部門にヒアリングをして、どのような分析問題に落とせばいいのかを部門と一緒に考えます」
ダイキン情報技術大学では、1年目に座学、2年目にプロジェクト・ベースド・ラーニング(PBL)と呼ばれる実践型の研修に取り組むが、その際に半期に一回、データで解けそうな課題を各部門にヒアリングする。そのおかげか、現在では各部門のデータに対するリテラシーも少しずつ向上しているという。
「熱帯夜があった週の土日はエアコンが売れる」従来の需要予測は属人化していた
そのTICとSCM部が連携してはじまったのが、今回取材したAIによる需要予測プロジェクトだ。
もともと人力で行っていた国内市場における空調製品の需要予測をAIを活用して行うことで、予測業務の均質化、業務時間の削減や過剰在庫によるコストの削減、過小在庫による機会損失の低減などを狙いとしていた。
SCM部に所属し、本プロジェクトのプロダクトオーナーを務めた山内駿氏は、以前の需要予測について「属人的」かつ「人海戦術」だったと振り返る。
山内 駿氏(ダイキン工業株式会社 SCM部)
経済学部卒 2010年にダイキン工業株式会社へ入社。受払計画を通して全体最適の判断を行うマネジメント部門に所属。2018年にダイキン情報技術大学を卒業してからは、AIを活用した需要予測の取組みに従事。
「2015年以前は各製品の担当者が肌感覚で需要予測をしていました。そもそも担当者によって経験値やノウハウが違っていたので、担当者間でも予測精度にばらつきがありましたね。
2015年以降は業務改善のいちテーマとして、過去の出荷実績と受注と突き合わせてだいたいこれくらい、とエクセルで計算するようになったものの、精度に大きな変化はなく実務で活用するには至りませんでした」
ダイキンが製造・販売する空調製品は大きく分けると業務用と家庭用の二種類がある。たとえば家庭用の場合、熱帯夜がはじめて来た週の土日は売れる、などの“セオリー”が担当者ごとにあった。
しかし、各製品の担当者がそれぞれのセオリーに則って受払(在庫の入出庫のこと)計画を立案すると、何が起こるか。
「担当者が変わった場合に、仕事の質が維持できなくなります。
大抵の場合は“弾切れ”を起こして過小在庫になることが多く、そうなると機会損失になります。受注をお客様の希望納期で受けきれなくなり、全国の販売会社と営業担当者を納期調整に翻弄させてしまいます。受払担当者としては申し訳なさで胃が痛い事態になりますし、その分の人件費もかかります。
工場側でも、在庫がない場合はサプライヤーに無理をお願いして部品を調達したり、製造ラインに人員を確保しなければならないなど、大きな“調整コスト”がかかってしまいます」
「ダイキン用語」理解が最初の難関。ホワイトボードとにらめっこで議論
加えて、SCM部が取り扱う空調製品は3,500以上。その数の受払計画立案を、10人ほどの規模で担当していたという。
そこで、TICからSCM部にAIを活用した需要予測の活用を提案。当初は外部のベンダーをTICからSCM部に紹介し、AIモデルの作成に取り組んだ。当時ダイキンに転職したてで、分析リーダーを務めたデータサイエンティストの田中将太氏は、当時をこう振り返る。
田中 将太氏(ダイキン工業 テクノロジー・イノベーションセンター)
2018年にダイキン工業株式会社に入社。前職はSIerでシステム開発業務に携わっていた。ダイキン工業入社後はデータを切り口としたサプライチェーンの改革を目指し、空調事業のすべての部門にまたがってプロジェクトの企画・推進を行っている。
「その時のベンダーさんには悪いのですが……(笑)。予測精度が期待を上回ることはありませんでした。そこで、TICが直接サポートする体制に移行し、そもそもAIに食わせるデータをどう作るか?というところからディスカッションしました」
実際にモデルを作るのには一年を要したというが、転職してきた田中氏にとって、一番の難関はモデル作成ではなく、SCM部の業務理解の部分だったという。
「ビルマル(ビル用マルチエアコンのこと)のような『ダイキン用語』を当たり前に周りが話すので、最初は何を話しているのか検討もつかない状態でした。業務を実際に体験していればわかるような簡単なレベルでも、当時はまったくわからなかったので苦労しましたね」
そこで、SCM部が実際に仕事しているところを横で見学したり、会議に同席したり、業務理解に時間をかけた。「モデルをつくるよりも現場に適用することがなによりも重要で、かつ難しい」と田中氏は語る。
「モデルの作成は難易度は高いものの、Kaggleなどの機械学習コンペで経験があるのでそこまで苦労しませんでした。しかし実際に業務に適用するとなると、モデルの精度の話だけでは済みません。
どんなに精度がいいからとじゃあ使ってくれと言っても、現場からすると、どんなに精度は良くてもAIは予測を外すこともある。そうすると現場はAIが下した判断をどう扱えばいいのかわからない。精度だけを見ればAIが優秀であることは確信していたので、あとはどうやったら使ってもらえるのか、それを考えることに最もエネルギーを使いました。
AI導入ではドメイン知識が何よりも重要だとはよく言いますが、それを痛感しましたね」
AIによる判断をどのような場面で使うべきか、そもそも現状の業務フローはどうなっているのか、ホワイトボードとにらめっこしての議論が日々行われたという。
そしてある程度要件が固まってきた段階でアジャイル開発をスタート。そのタイミングで、ダイキンにノウハウのなかったアジャイル開発をサポートするべく、ISIDもプロジェクトに加わった。最終的に完成したシステムでは、担当者が製品別に販売計画とAIによる予測の幅を比較し、販売計画を策定する業務フローになった。
AIがアラートを出した部分だけ人間がチェックすればよいため、大幅な工数の削減につながったという。
「やりたいならやったらええ」アジャイル開発にフィットするダイキンの“任せる”文化
多くの企業は、そもそも自社のリソースや人材が不足していたり、経営陣のAIに対する理解が不足していたり、なんらかの理由でAI導入に至っていない企業が多い。その観点で、ダイキンはなぜ100テーマ近くのプロジェクトを動かせるのだろうか。
その秘密は、ダイキンに脈々と受け継がれる文化にある。
本プロジェクトには直接の関わりはないが、ダイキン情報技術大学立ち上げに携わったTICの西川良太氏はこう語る。
西川 良太氏(ダイキン工業株式会社テクノロジー・イノベーションセンター)
2018年に自動車関連メーカーからダイキン工業株式会社に入社。情報技術大学運営を行いながら、自身も情報技術大学講座を受講。現在は間接業務効率化・DX化を推進する業務に従事。
「やりたいと言えばやらせてくれる、チャレンジさせる文化がありますね。若干語弊があるかもしれませんが、『修羅場を経験させろ』と弊社会長の井上もよく言っています。
今回のシステムも、山内と田中の二人が中心となり、現場適用までこぎつけました。現在のマネージャークラスも、その上から任せられて修羅場を乗り越えてきているので、若手に積極的にチャレンジさせる文化は脈々と受け継がれている感じがしますね」
SIerから転職してきた藤本氏も、ダイキンの文化をこう評する。
「私はSIerと呼ばれる業種から転職してきました。
このプロジェクトには途中から合流したのですが、PoC終了後の本番システム開発に取り組むか否かの判定会議において、『山内がやりたいなら、やってみたらええ』とSCM部の上の人が仰ったんですね。
正直、もっと理詰めで資料を作り込んでいかないと通らないのではないかと思っていたので、良い意味で驚かされました」
「データと現場(エンドユーザー)と関わる仕事がしたいならダイキンは良い場所」だと藤本氏はいう。
「SIerはよくも悪くも、システムを納品するのが仕事ですが、本来それはゴールじゃなくてスタート。システムをつくった後、現場で業務を変革してはじめてシステムを作った意味が出てきます。当社なら現場と深く関わり合いながらそこを経験できます」
本プロジェクトにおいて、実践的な人材育成を主眼においた、AIシステムのアジャイル開発プロジェクト立ち上げや技術支援でダイキンをサポートするISIDの牧田浩樹氏と久保田敏宏氏は、ダイキンの「任せる文化」についてこう語る。
牧田 浩樹氏(株式会社電通国際情報サービス クロスイノベーション本部 AIトランスフォーメーションセンター)
2020年に製造業から株式会社電通国際情報サービスへ入社。関西エリアのお客様を中心に、AI・データ活用プロジェクトやAI人材育成など幅広い領域のプロジェクトを担当。
「私は藤本さんとは逆の立場で、前職では製造業にいました。多くの製造業ではAIやデータ活用しようとしてもデータがない、社内の業務をAIやデータ活用によって変革したくても人材が不足している等の課題を抱えています。
ダイキン工業様にはAIに取り組むために必要なデータもあって、データ活用できる人材が現場にいます。もともと製造業にいた立場として、すごくよい環境だと思います」
久保田 敏宏氏(株式会社電通国際情報サービス 製造ソリューション事業部 先端技術推進ユニット)
数十を超えるAI・データ活用プロジェクトの推進や、ISIDのAIプロダクトオーナーの経験を有する。近年ではISIDのAI人材育成ソリューションの立ち上げや推進も担当。
「ダイキン工業様の“任せる文化”は、この需要予測プロジェクトがPoC止まりにならなかった、理由のひとつだと思っています。現場のプロダクトオーナーにまずは任せてみることで、PoCの段階では、どのようにすれば現場の業務をよりよく出来るのかをプロダクトオーナー自らが、受け身ではなく能動的に考えることができます。
また、AIシステムの実装の段階においては、自らが主体となってシステムの要件を考えることが可能です。アジャイルでの開発においてよく言われる、チームに権限を与えて自身で意思決定を行う『自己組織化されたチーム』という言葉と、任せる文化は通じるものがあります。
もし、プロダクトオーナー以外にプロダクトの決定権を持つ人が外部に存在し、実際には任せられていないような場合、チームで決めたことが外から何度もひっくり返されてしまいます。その結果、素早く進めることができなくなり、うまくいきません。ダイキン工業様ではそういったこともなく、アジャイル開発がかっちりハマるような任せる文化が醸成されていると見ていて感じます」
DXがなかなか進まない企業が多い中、ダイキンの確固たる文化から生まれてくる事例は貴重だ。
ダイキン情報技術大学設立から4年が経ち、デジタルリテラシーとドメイン知識を兼ね備えた人材が増えるにつれ、同社からは今後も数々の事例が出てくるだろう。Ledge.aiとしても引き続き目が離せない。