「病気を治す」から「幸せになる」医療へ。人間を超え始めた医療AIの現在地

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医療分野でのAI技術の活用は、1970年代ころの第二次人工知能ブームの時代から模索されていた。エキスパートシステムと呼ばれ、感染症診断・治療支援のMycinなどが知られる。

しかしシステムに耐えうる開発環境と実行環境がないといったハード面での問題や、誤診時の責任といった倫理・法律に関わる問題などのさまざまな要因により、実用化には至らなかった。

「冬の時代」を超え第三次人工知能ブームを経た現在、医療分野ではどのようにAIが使われるようになっているのか。AIが実装されるにあたって、新たな社会課題が生まれてくるのだろうか。

こうした問いに向き合うセミナー、第3回ABEJAコロキアム「すすむ医療のAI化、社会システムをどう再定義する?」が、10月25日(金)に開催された。

「ABEJAコロキアム」はメディア・報道関係者向けのセミナーとして2019年4月にスタート。“社会とテクノロジーの交差点にあるテーマを取り上げ、討論する場”として、登壇者による講演と、参加者とのディスカッションという2部構成になっている。

本稿では、「テクノロジーと医療の未来」というテーマで登壇したアイリス株式会社 CEO 沖山翔氏の講演内容を中心にレポートする。

医療×AIの現在〜画像認識による効率性改善から、診断・検出精度向上へ

沖山氏は、救急医として従事したのち、2017年にAI医療機器の研究開発を行うアイリスを創業。当セミナーでも、「医療とAI」「医療のこれから」について語った。

2019年現在、医療分野に大きな変化をもたらしているのは画像認識技術だ。沖山氏は「医療AIは診断・検出の分野で多く活用されている」と述べ、アメリカでの実用化事例を紹介した。

医師の診断時間を80%削減

現在、医療AIは放射線科の領域でもっとも導入が進んでおり、すでに黎明期を過ぎようとしているという。CT、MRI画像から病状を診断するものが中心で、レントゲン画像から骨折を感知するAI、エコーから臓器の状態を点数化するAIなどが該当する。

脳のスライスCT画像から脳出血を検出するAIの認識精度はAUC(認識精度を表す指標)0.948。人間がじっくり画像を見て判別するレベルに相当し、この検出AIによって医師の診断時間を80%削減できるという。

アイリスCEO・沖山翔氏講演資料p.17より引用

古いMRI機器の撮影画像を画質変換するというAIも存在する。MRIは高価な医療機器のため、利用サイクルが長く10年以上前の機器を使う医療施設も少なくないとのこと。長く使われている機器には鮮明な画像が撮影できないものもある。こうした画質が悪い撮影画像をAIが変換し、変換後の画像を人間が見、診断に役立てる(医用画像処理と呼ばれる)という事例もあるという。

アイリスCEO・沖山翔氏講演資料p.15より引用

医療機器のAIは「人を超える」フェーズに差し掛かっている

今でこそ医療現場に入りこみ、効率化に貢献しつつあるAIだが、かつては反対勢力の声が大きかった。「医療では、世界に300人程度しかいないような希少疾患もある。AIはビッグデータの集積なので、出現頻度が低い疾患のデータを得られなければ検出できない」というものだ。

しかし、現在では少ない量のデータで学習できるメソッドが開発されており、少ない数の画像から特徴量を見出すことができる。たとえばマイクロソフトによる「レンブラントの新作」風AIに学習させた画像は、わずか350枚ほどだという。

アイリスCEO・沖山翔氏講演資料p.7より引用

ほかにもゼロショットラーニングを利用し「これまで見た画像とはちがう特徴量を持つ」といった判断をさせ、希少疾患を検出することも理論上可能であり、数千枚もの画像が必要だった時代はもはや数年前の話という。

ゼロショットラーニング
訓練データのない(1度も学習したこともない)カテゴリの画像を、補助情報を頼りに分類するディープラーニングの手法

では今後、医療分野でのAI活用はいかに進化を遂げるのだろうか?

――沖山氏
「医療AIは効率化を進めるフェーズから、人を超える精度、成功率を実現するフェーズに差しかかっているといえます」

アイリスCEO・沖山翔氏講演資料p.19より引用

フェーズ3の「過去になかった診断方法を実現するAI」の例として沖山氏が挙げたのが、スマートフォンでの双極性障害検出だ。端末を見る頻度や、ECでの利用額などから患者がうつ(もしくは躁)状態かを推測・判断するといった、今まで使っていなかったデータをもとに診断を下すという。

「病気を治す」だけが患者を幸せにする手段ではない

こうしたテクノロジーの発展や時代の流れにより、沖山氏は「医療の対象が病気から人に変わってきた」と述べる。

尊厳死、という言葉が生まれる前は「命は尊いものだから、1分1秒でも長く生きることが大切。だから病気を治すべきだ」という価値観が浸透し、人工呼吸器や胃ろうといった延命治療技術が発達した。

しかし、患者が医療に求めているのは病気の根治だけでないという。

――沖山氏
「医師が大学で学ぶのは、サイエンスベースの学問としての医学です。しかし患者が求めているのは生活の質を高める“医療ケア”。心臓の冠動脈の詰まりを解消してほしいのではなく、痛みをとってほしい、死ぬかもしれないという不安を解消してほしいといったこと。

だから心の不安を解消できるだけでも、医学的価値があるのではないか。人を癒すものはすべて“医療”と呼んで良いのではないでしょうか」

アイリスCEO・沖山翔氏講演資料p.36より引用

沖山氏の言うように医療者の意識は変化しつつあるものの、技術サイドの研究者は「病気を治す」に意識が向きやすく、病気の発見や治療にフォーカスしたAIが多く開発されがちだという。

そうしたAIに対する「生き方をサポートする、幸せにするAI」の事例として、マイクロソフトによる「Project Emma」を紹介。

Project Emmaで開発されたのは、若年性パーキンソン病の患者向けのウェアラブルAIデバイス。リストバンド型のウェアラブル端末が手の震えのタイミングを学習し、手の震えの逆方向にバイブレーションを起こすことで、手の震えをキャンセルするという仕組み。あわせて機械学習で手の震えが止まる振動の強さも学んでいくという。

――沖山氏
「このデバイスは医学的な視点から見たら、まったく病気の治療をしておらず、対症療法にしかすぎないものです。でも彼女の人生にもたらした価値は計り知れません。

治すだけが医療でななく、根治を目指すのがAIの目的ではない。私たちは深く狭い医療の課題に向き合って、ひとつひとつの疾患に対していかに価値を出せるかを考え模索している最中です」

いまだ横たわる、AIによる誤診などの倫理課題

AI技術によって医療現場に変化が起きつつあるものの、医療分野のAI導入が抱えている課題は少なくない。

「学習データへのアノテーション(ラベリング)作業を医師自身が行わねばならず、リソースを割くのが難しい」(ABEJA Use Case 事業部 木下正文氏)といった問題から、個人の生き方に関わる倫理的な問題までいくつも立ちふさがっているように見える。

とくに後者は講演後の討論でも論じられており、AIが誤診したときの責任の所在や「過去にAIが病気になると予測したのに、(経済的などやむを得ない事情等から)適切な対処をしていなかった患者自身が責められる」といった世界になってしまうのか、という意見も出た。実際に、万人にとっての最適解は出せないだろう。

AIができることは「ある1つの目的(方向性)に対する解を出す」であるがゆえに、医療者あるいは患者の誰にとっても絶対的な正解が出せるとは限らない。自分がいかに生きるかを考え、方向性を示すのは、まぎれもなく自分自身である。

AI導入によって価値観が「揺さぶられる」事例は、医療分野に関わらず存在するだろう。今後も追っていきたい。