プロ棋士と将棋AIが対戦する「電王戦」をはじめ、人間 対 AI の構図が語られることが少なくない将棋界。2017年には、将棋AI(PONANZA)が名人のプロ棋士に完勝したことが、当時大きな話題になりました。
現在、将棋界におけるAIは、プロ棋戦のインターネット生中継における評価値(ある局面での優劣評価)を示すコンテンツや研究に活用されるなど、業界全体に多様な影響を与えています。
究極の頭脳戦をみせる棋士は、人間の知能とAIの共存をどう考えているのか? コンピューター将棋に造詣が深い、プロ棋士の西尾 明氏に話を伺いました。
1979年9月30日生まれ、神奈川県出身。2003年4月に四段となりプロ棋士に。2019年2月に七段に昇段。
将棋の世界に衝撃を与えたAIの台頭
――将棋AIの存在を知ったのは、いつ頃でしょうか?
「2011年、コンピューター将棋選手権の解説をした際に、初めて興味を持ちました。当時、AIを活用していた棋士はほとんどいなかったのですが、すでに人間が参考にできるレベルに達していました。
そして2013年頃、徐々にフリーソフトが公開され始め、将棋界にAIが浸透してきました」
――2013年といえば、「第二回電王戦」でプロ棋士がAIに敗北したタイミングですね。将棋界にはどのような影響があったのでしょうか?
「棋士として、AIの圧倒的な強さへの危機感はありました。AIは、圧倒的な強さだけではなく、これまでの将棋の常識を覆すような独創的な手を指してくるので。そのため、当時は『棋士』という仕事がどうなるのかを心配する棋士も多かったですね。
AIの指す将棋はプロから見ても非常に魅力的です。前例のない手や一見人間が疑問に感じる好手を指すため、好奇心を満たしてくれます。一方で、我々プロ棋士が将棋を指す上で、プロ棋士よりも強い存在がいる事実は、棋士の存在意義を考えさせられました」
――現在、プロ棋士はAIとどのように向き合っているのでしょうか?
「初めて公にプロ棋士と将棋AIが対戦してから8年ほど経ちます。時間の経過とともに、棋士の間ではAIへの向き合い方が変化してきています。
『将棋AI = 棋力を高めるためのツール』という考え方が浸透しています。元来の将棋AIは、人間の棋譜(過去の対局データ)を教師データとして、機械学習を行なっていました。しかし現在、その関係は逆転し、人間がコンピューター将棋を教師とする時代になっています。そうしたプロ棋士とAIの関係性は、今では当然として受け入れられています」
将棋界におけるAIの活用法
――具体的には、プロ棋士はAIをどのように活用されているのでしょうか?
「前提として、今ではほとんどの棋士がAIを使っています。指し手の研究や対局後の振り返りなど、様々な用途で活用されています。研究は、ある局面の一手や戦術自体が有効かを検証します。
将棋の一局は、
- 序盤
- 中盤
- 終盤
という3つの局面に大別できます。特にAIが活用されるのは、一局の始まりである『序盤』です」
――「序盤」でAIの活用が多い理由はなぜでしょうか?
「AIの評価が高い序盤の動きを参考に指し手を工夫することで、より幅広い戦法を身に付けることができるからです。将棋の対局は定型から始まるため、主に序盤から中盤にかけて、AIから知識を取り入れる形で活用が可能です。
2013年頃、将棋AIは序盤が苦手でした。そのため、人間の定跡にならって序盤を指すようにプログラムされていたケースがほとんどでした。プロ棋士がAIを活用して研究する際は、定跡の延長線上にある一局面をAIがどう評価をするのか、という『点』での活用が主流でした。
しかし、2014年頃に強化学習という手法を取り始めて以降、人間の定跡とは異なる手を指す例が増えてきました。すると、『点』に至るまでの過程、つまり人間が指してきた定跡がそもそも正しいかを考える必要が出てきたんです。
そして現在では、AIの作り上げた新しい定跡が数多くプロ棋士同士の対局に採用されています」
――2014年、ブレイクスルーが起きた将棋AIは、その後どのような進化を遂げたのでしょうか?
「実は近年、将棋AIに次なる変革が起きています。強化学習を取り入れて以後、多岐に渡る序盤の指し手を生み出したAIですが、最近では序盤における指し手のパターンが一定数に収束している傾向にあります。膨大な計算力によって有力な手を求めた結果です。
2、3年前に開発されていたAI将棋で頻繁に見られた指し手も、最新の将棋AIによる評価は低いことも珍しくありません。プロ棋士がAIを教師として将棋を学ぶ時代において、AIの評価が時とともに変化する可能性がある、という事実は重要です」
――AIを活用することで伸びるのはどんな力?
「人間同士の対局では、いまなお未知の局面が存在するのが将棋の醍醐味の1つです。未知の局面に遭遇した時、いかに正確な判断をできるかが勝敗を分けます。そうした実力は、単にAIから知識を得るだけでは成長しません。将棋AIが提案する最善手の本質を見抜く必要があります。
というのも、AIが提案する最善手は、プロ棋士でも100%は理解できないからです。『AIが示している20~30手先には、こんな展開が待っているのではないか』『その局面に進んだ場合、自分にとって勝ちやすい局面が待っているのか』という大局観を持って、最善の選択をし続けることが重要です」
AIの評価は絶対ではない。人間は何をするべきか
――最善手の本質を見抜く。その例はありますか?
「電王戦にてAIと棋士が対局する際、その対局自体は他のAIによって解析されることが多いです。2014年、ある局面におけてプロ棋士たちは『人間側が有利である』と判断しました。一方、多くのAIは「AI側が有利である」と評価していたんです。結果はAIが勝利し、AIが指す将棋は、何人ものプロ棋士たちが読みきれない世界だと考えられました。
しかし、数年後に同じ局面をAIに検討させると、『人間側が有利である』と評価を示したんです。この検討結果だけみると、当時のプロ棋士の肌感覚は間違っていなかった、ともいえます。つまり、AIの示す判断を盲目的に信じて、評価を下すのは危険であると考えられます。AIを活用する上で重要なのは、本質を見極め分析した上で、取捨選択です。
AIはツールに過ぎません。どんな最善手が提案されても、採用するかどうかの取捨選択は人間に委ねられます。AIが評価する手を選択するのは、作戦の1つです。しかし、多少評価が悪くても自分が得意なフィールドで戦ったり、対局相手の癖を理解して作戦を選択することが、プロ棋士には求められます」
――昨年、大きな話題を呼んだ藤井 聡太氏など、若いうちから膨大なデータをもとにAIを活用して将棋を研究しています。常日頃AIを活用している棋士に特徴はあるんでしょうか?
「AI活用する若手棋士は、将棋の本質を掴む能力が高いです。全体を通じてミスが少なく、安定感に長けています。棋士に限らず、AIを活用するアマチュアの方も強くなりやすい時代になっています。
一昔前までは、スキルアップのために東京に出て、格上と直接対局する必要がありました。インターネットとAIの登場は、オンライン対戦やソフトによる研究を可能にし、知識の共有を容易にしました。AIは、強いプログラムという単純なものではなく、もはや将棋界全体に影響を与える存在になっています」
人間とAIの共存。将棋棋士に問う、知能の本質とは
――今の時代における、知能とは何でしょうか?
「今の時代における知能は、『AIなどのツールを使って、何かを導き出すこと』だと思います」
これまでは、知能といえば、「人間が物事を考え、答えをアウトプットする一連の過程のこと」を指していました。将棋においても同じことが言えるでしょう。手間をかけて新しい一手を研究することが、人間同士の対戦における勝利に繋がっていました。
しかし、これからの時代は、テクノロジーによって生み出されたアウトプットを取捨選択し、自分の決めた目的に生かすことが求められると思います。