(画像提供:東京大学)
東京大学が今、大きく変わろうとしている。
東大は以前の体制では計11人の役員のうち女性は3人のみだったが、2021年4月1日以降の新執行部体制では計11人のうち6人と、過半数が女性になった。
東大においては新執行部体制のみならず、ダイバーシティ推進の取り組みも活性化している。新体制で役職に就いた1人でもある林香里教授は理事・副学長(国際・ダイバーシティ担当)として、現在は東大内でのダイバーシティ推進と国際化に向けた改革のまっただなかにいる。
AI(人工知能)などの最新テクノロジーが浸透する現代社会においては、性別や人種、セクシャリティなどにかかわらず、それぞれを尊重して認め合い、生かしていく「ダイバーシティ&インクルージョン」はきわめて重要な要素と言える。
今回は林教授に東大でのダイバーシティ推進の取り組みについて話を聞いた。
東京大学 林香里教授
ジャーナリズムやマスメディア研究で知られる。東京大学総長特任補佐(2019年度~2020年度)などを歴任し、2021年度からは東京大学 理事・副学長(国際・ダイバーシティ担当)に就任した。
東大とソフトバンクによるAI研究機関「Beyond AI 研究推進機構」では、AIが普及した社会で忘れられがちな女性をはじめとするマイノリティに光を当てる「B’AI Global Forum:AI時代における真のジェンダー平等社会の実現とマイノリティの権利保障のための規範・倫理・実践研究」の研究リーダーを務めている。
林教授がダイバーシティ推進に抱える「大きな責任」
ジャーナリズムやマスメディア研究で知られる東京大学の林香里教授(撮影:上代瑠偉)
──林先生は今年の4月から東京大学理事・副学長(国際・ダイバーシティ担当)に就任されました。現在のご心境はいかがでしょうか?
これまで私は東大の数少ない女性の教員として、女性の学生からキャリアやライフイベントのことなど、いろいろな相談を受けてきました。大学院では英語プログラムも運営してきたし、現在のポジションに就く前の総長特任補佐の時代には東大全体の国際化とダイバーシティ推進の仕事もしてきました。
そうした仕事に携わりながら、「これから東大をさらにグローバル化し、ダイバーシティのあるキャンパスを作るにはどうすれば良いか」を考えていました。突然、その「リードをしろ」と言われて、大きな責任を感じています。
──東大の新執行部体制では計11人のうち6人と、過半数が女性です。女性をはじめマイノリティの方が役職に就くと「逆差別だ」「マイノリティ優遇だ」といった声も見受けられます。どう思われますか?
私がいつも言うことですが、「逆差別」という言葉は本来、存在しません。差別は「自分の意に沿うように他人を動かせる権力を持つ人たちが、権力を持たない人たちを排除する」ことを指します。そもそも、権力を持たない人たちは権力を持つ人たちを差別できません。
現状の明らかな不平等を是正し、取り残されてしまっている人たちとの連帯を考えているのに、「逆差別だ」「マイノリティ優遇」と言われると、「社会をより良くしよう」「みんなに一緒に協力して頑張っていこう」というモチベーションにはなりません。とても非建設的な言葉だと思います。
東大内では「男性8割、女性2割」について議論が起きていた
東大の学生として赤門をくぐれるのは「男性8割、女性2割」 (画像提供:東京大学)※現在、赤門は耐震性確保のため閉門中
──現在、林先生は東京大学理事・副学長(国際・ダイバーシティ担当)として、どのような改革をしていますか?
今日(5月13日)の朝は、主要な先生たちと藤井総長のもとでこれからどのような道筋で国際化とダイバーシティを実現していくかプランを練っていました。たとえば、学生や職員全体にダイバーシティ&インクルージョン教育をきちんと浸透させるには、どうしたら良いのかなどです。
藤井総長は「対話と共感」を重視しているので、キャンパスでの対話やコミュニケーションを活性化するために相談機能をさらに充実させ、風通しの良い会話の場を増やしていきたいと思います。
──東大は2021年度の入試結果では全合格者に占める女性の割合は過去最高の21.1%でした。少しずつ増えてきてはいるものの、現状では2割超に過ぎません。どう見ていますか?
なかなか難しい問題です。女性の入試の点数を操作していた事件もありましたが、東京大学の入試はそのようなことはまったくなく、公平公正です。ただ、「男性8割、女性2割」になっていることについては検討しなくてはいけません。
留学生や障害のある方、女性など含めて、優秀で多様な学生に入学していただくためには、いろいろな入試のシステムも検討する必要があるのではないかと思います。難しい課題で、私だけでは変えられません。日本社会全体が現在の「入試制度」とは異なる選抜方法について考え、さらに言うと、日本の教育のあり方そのものに向き合う必要があると思います。
東大全体の「バリア」をなくしていく
東大全体の「バリア」をなくしていくアイデアも(画像提供:東京大学)
──もちろん、世の中には女性だけではなく、さまざまなマイノリティが挙げられます。障害者への対応や支援についてはどうでしょうか?
東大には「バリアフリー支援室」があります。バリアフリー支援室はこれまでも機動力を持って対応し、障害を持つ学生が東大で勉強できるように支援してきました。
障害にもさまざまな種類があります。「バリアフリー」と言うと、身体的な「バリア」を考えがちですが、目に見えない「バリア」にも光を当てる必要があります。発達障害をはじめ、外からは見えにくい「バリア」を緩和していくことにも注力しています。
さらに、外国から来る学生は日本語という言語が「バリア」になる可能性があるし、女性もマジョリティの男性のやり方に「バリア」を感じてしまうこともあります。これからは「バリア」という言葉をもっと大きく捉えて、私たち1人ひとりの課題と捉え、キャンパス全体の「バリア」をなくしていこうというアイデアも出てきました。
──LGBTなど性的マイノリティへの対応はどうでしょうか?
LGBTに関しては、私も多様な学生や教職員がいることについてもっと意識して、居心地の良いキャンパスを作りたいと考えており、新任の国際・ダイバーシティ担当としての大きな課題の1つと考えています。現状のアイデアとしては、東大では「多様性という定義にLGBTを含む」と宣言しても良いし、もっとほかにもサポートができればと思っています。
「トップを目指すには多様性が必要」と訴えることも必要
「どのようなバックグラウンドでも自分の力を存分に発揮できる」キャンパスを目指す(画像提供:東京大学)
──林先生はご著書(※)のなかで、ジェンダーに関するシンポジウムを開催した際に、登壇した男性の先生に「僕は被告席に座りますので」と言われたというエピソードを紹介していました。差別という問題は当事者以外には理解を得づらい状況があると思います。どのように訴えていくでしょうか?
これまでジェンダーやマイノリティについてあまり関心のなかった先生も、世界から優秀な人を東大に結集させ、トップの学問を目指すことには異論がないと思います。そのためには、東大が日本人の男性だけが快適な場所であることは良くありません。
ダイバーシティ&インクルージョンと言うと、ただ「女性を増やせば良い」という女性の権利主張の話に捉えられがちです。もちろん、私自身は女性を増やすことは良いことだと思いますが、そのような議論に加え、「研究や教育でトップ水準を維持するためには、多様性が必要である」ことを伝えるのも重要だと思っています。
──林教授が東大において、目指されている状況はどのようなものでしょうか?
東大は学問の場です。ありがたいことに、入試では偏差値が高いと言われる優秀な学生たちが集まってきました。日本社会全体に支えられて今日まで来たと思っています。
ただ、女性でもっとも優秀な方、障害をお持ちの方、外国人留学生と、東大の関係はそこまで明確ではありません。たとえば、地方にいる成績が優秀で、勉強が好きな女性の高校生が、まわりの人から「東京なんかわざわざ行かなくても……」と言われたり、自分自身も「女の子だから……」と思ったりして、東大に来てくれない方もいると思います。
東大は常に研究・教育活動のトップを目指すことが重要だと感じています。そのためには、大学執行部として、出自やジェンダーなどに関係なく、自らの力を存分に発揮できる場を用意したい。もっと言えば、楽しいキャンパスライフが送れる。藤井総長の言葉を借りるなら「誰もが行きたくなる大学」。そういうキャンパスを作りたいです。
優秀な学生が東大から飛び立っていき、日本社会そしてグローバル社会に貢献する。その一部は東大に戻って研究をし、教鞭(きょうべん)を取ってさらに次世代を育成していただく。そんな良い循環ができるよう、大学教員として努力していきたいです。
※『足をどかしてくれませんか。——メディアは女たちの声を届けているか』(亜紀書房)
【編集後記】
林教授は東大でもBeyond AI 研究推進機構でも多様性を追求する想いをこう語る。
「私自身も東大の中ではマイノリティかと思います。女性だし、東大の出身でもありません。研究者としては、子どもを2人育ててながら、非常勤講師で『食つなぐ』時期もありました。今回、理事・副学長をやってみなさいと声かけられて、とってもうれしかったし、ありがたいと思いました」
「でも、そのありがたさは藤井総長をはじめ、これまでチャンスをくれた方や支えてくれた方にお返しするともに、今度はこのような立場になった私自身がほかのマイノリティの方に声をかけて、これまで受けたご恩と感謝をお返しすることもできるのではないかと思っています」
林教授には1時間さまざまな話を伺ったが、この言葉がとくに印象に残っている。林教授を中心として変わりゆく東大に注目だ。
※林教授が考えるAIとバイアスの問題、およびBeyond AI 研究推進機構での取り組みについては、以下の記事をチェックしてほしい。